仕事観
来月、全社員の前でスピーチをする機会があり、その原文として書いておこうと思います。原文なので、あまりキレイにはまとまりませんが、後に清書する時の自分へのヒントとしてなるべく多く書いておきます。
私の仕事観とは、「おもしろきこともなき世をおもしろく」であります。
これは高杉晋作が詠んだ詩の前半部分にあたるものです。
前職の社長が「仕事なんて面白くないのは当たり前だからさ。どうやって面白くするかでしょ」と頻りに話していました。
なるほどと思い、これを実践すると会社に行くことがそこまで苦痛ではなくなるわけです。
いかに、面白くないものを面白く捉えるかは本人の思考法・アイディア次第というわけです。これをうまく使いこなすことが出来れば、より毎日は楽しいものになり、会社に行くことが苦痛でなくなるどころか、楽しくさせることすらできるわけです。
実際に私が行っていたもので一つ例を挙げるならば、
営業先で「ここは商談仕掛けられるな」と見込んだお客さんの近隣にある飲食店の一つを封印します。それは、なるべく「行ってみたいな」と思えるようなお店だと好ましいです。
封印とは「契約取れたらあの飲食店に入れる」と今行くことを封じることです。
実際に私が封印した店でゴリララーメンというラーメン屋さんがありました。
(東京都府中市にあります)
封印期間中、上司とゴリララーメンってどんな店だと思う?と盛り上がり、「ゴリラで出汁取ってるんじゃないか?」とか「ゴーゴーカレーみたいな感じでデカ盛りのラーメンか?」など様々な議論をしました。これもまた楽しい。
ネットで調べればすぐにゴリララーメンの店名の由来なんかはヒットしそうですが、そんな無粋なことはしません。
ゴリララーメンの店名の真実は、契約を取り付けて自分の目で確かめることに意味があるわけです。
この店を封印し、半年ほどかけてようやく契約に漕ぎ着け、ゴリララーメンを食べに行くことができました。
食べにいってみると、メニューは普通だし、出てくるラーメンも普通。別にゴリラの出汁ではなさそうだし、デカ盛りってわけでもない。
ただ、店主の顔がゴリラっぽかったので、「ああなるほど」と聞くまでもなく納得しました。
半年間挑み続けた謎の答えがあまりにもしょうもなさすぎて、こんな馬鹿げたことに夢中になれるのは幸せだなと思いました。
仕事ってのは、おもしろくないものをどうおもしろく捉えるかの修行だと思うわけです。
修行というといかにも苦しいものというイメージですが、私はあまり修行をマイナスイメージで捉えてはいません。
人間は本当に美味しいものは、訓練しないと美味しいと理解できない。私にとって芋焼酎は修行を経て、美味しいものになったのでよくこの言葉が理解できます。
それと同じで、人生を味わう・面白がるため、面白くないことを面白くする修行をしていると思うわけです。
-多分スピーチの内容はここまで?以下脱線-
「面白くしないと仕事できないなんておまえは不便なやつだな。仕事ってのは面白くなくても真面目に全うしなくてはいけないものだろう」と批判されるかもしれません。
しかし、私はそう思いません。
「人間に期待しない」という考えが私の根底にあるからです。
ここでいう「人間」とは他人という意味ではなく、私も含めた人類を指しています。
人間ってのはそんなに便利なものではなく、デカい大脳を持ってしまったせいで随分と不便で複雑な存在と思っています。
面白くないことを面白くないままに、夢中になって何十年もやり続ける。そんなこと、私にも他人にもできるわけないじゃないか。と思うわけです。
多くの場合、私に出来ないことは他人には出来ないし、その逆も然り。個人のスペックなんてのはそれほど大したものじゃないと思うのです。
生まれた時はみんな横並びで、そのあと個人差を作っていくのは与えられた・獲得した・選択した状況の違いだけであると思います。
もし私がスラム街で生まれていたら、今頃食べていくために何人か殺していたかもしれないなと、何の違和感もなく想像できます。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。です。
仕事観から逸脱しますが、恋愛において恋人関係が長続きしない人というのは人に期待しすぎているんじゃないだろうかと思うことがあります。
例えば、誰でも状況によって浮気はするものだと私は思っていますし、どんなに強い愛も状況次第で簡単に失われるものです。
大事なのはそれを理解していることであると考えています。
人ってのは大したものではないのだから、過ちを犯さないよう工夫・システムを凝らさなくてはいけない。それを怠って相手を批判するのは愚かなことだと思います。話さなくてもわかるは幻想です。
運命の人なんて偶像はまさに人に期待していることへの証明ではないでしょうか。