お金は使ってもなくならないよ
私は過度な倹約家が好きではありませんし、金銭的価値観が大きく異なる人と仲良くするのは難しいと思っています。
浪費家より倹約家の方がどっちかっていうと好きじゃないなぁと。
どうにも金銭的価値観が合わない人とは、お金に対する考え方が違う気がします。
お金は使ったらなくなるとか考えてんのかなぁと思うわけです。
お金は消耗品。と私は思いません。
取引とは価値の交換であり、基本は等価交換だと思っているわけです。
金を使うというのは、価値の変化でしかないと思うわけです。
仏教の言葉で流転という言葉があります。
万物は流転している。
つまり、全ての物は変化をすることが常であるという意味です。
永遠なんてものはあり得ない。
無常というのも似たニュアンスの言葉ですね。
昨日の私と今日の私は別人ですし、今の私と2秒後の私も僅かながら変化をしています。
今手元にある1万円と明日の1万円も厳密には等価ではありません。
コストパフォーマンス。
日本語だと費用対効果と言いますが、取引の成功度合いを評価する一つの考え方です。
安くて普通の味の食べ物を食べて、お腹いっぱいになる。
コスパが良いような気がします。
しかし、もう少し高いお金を払えば美味しい食べ物でお腹いっぱいになれるのだとしたら?
コスト:金
の要素で見たら、前者の方がコスパが良く見えるのですが、
食事は人生において無限にできるものではなく、あと何回食事出来るかはわからないものの、有限であることは確実なわけです。
また、パフォーマンスとはお腹いっぱいになることだけではありません。
食事は、望む望まざるに関わらず、しなくてはなりません。
しかし、楽しいことでもあります。
美味しい物を食べたり飲んだりすることで幸せを感じる人が大半です。
有限な「食事権」を消耗して、「金指標」のコスパを優先させ、面白味のない食事をするというのは機会損失であるように思います。
お金が大切なのは誰だって知ってるし、お金の力ってのは目に見えてわかりやすいでしょう。
しかしながら、わかりやすいものにフォーカスしすぎて本当に大切な「食事権」やその他の機会を損失するような倹約は理解し難いものがあります。