無常度
物の価値について、有限性という言葉で語っていましたが、無常度と言い換えた方が意味として美しく纏まるのではないかと思いました。
ガラス製品の美しさについて、過去書いた記憶がありますが、改めて書くと、
光を受けて輝く様だけではなく、その脆さ・儚さが美しさを際立たせるのに一番重要な要素であると思うわけです。
この儚さを、限られた美として有限性であると書きました。
今ここに美しい形で存在していることは当たり前などではなく、破壊を考えつけばすぐ様失わせることができる。そんな儚さが美の引き立て役となるわけです。
無常を感じると、ものの奥行きを感じるような気持ちになります。
最近だと、おりんの音が好きだと友人に話、なぜそんなことを思ったのか自分で考えてみました。
消えそうで消えない、響き続ける音が好きなんだと思います。
虚空にゆっくりと鐘の音が吸い込まれて、そのうち音が止んだのか止んでいないのかよくわからなくなってくるわけです。
そんな不思議な感覚に無常観を感じて、悲しいような気もするけれど、美しさも感じると思うのでした。
花火の美しさもまた、無常度の高さでしょう。
写真で見る花火に価値がないのは、その寿命の長さだと思います。
コンビニのエロ本についての時と同じで、一瞬だから価値があるわけです。
いつでも見られるものを目に焼き付けようとは誰も思いません。
無常度と呼ぶのは物によって度合いが異なるからです。
万物は無常であるのですが、写真の花火はすぐに失われることはありません。
現物花火は無常度が高く、写真花火は無常度が低い。