したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

メメント・モリの教訓

 

日々の価値を味わいながら生きることが幸福なのではないかと考えます。

しかし、価値とは何かと言われると一概に説明が難しいのですが、価値の構成要素の一つに有限性があると思います。

今回は有限性にフォーカスした話です。

 

 

メメント・モリという言葉はご存知でしょうか?

 

ラテン語で「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味の言葉です。

www.lifehacker.jp

私がこの言葉を知ったのは、このwebサービスのニュースを見た時だったのですが、とても面白い言葉と感じました。

 

「死んでしまう前にやるべきことは早くやりなさい!」というメッセージがあるようです。

リマインダーとメメント・モリの教訓は非常に相性が良いということですね。

 

 

価値について考えると、有限性というキーワードが出てくると冒頭に書きました。

それは、様々なケース・スケールにおいて有限性が絡んでくると思ったからです。

 

お金の価値を有限性で考えてみましょう。

お金は無限ではありません。使えば減ります。だから価値があると思って大事にするわけです。

ただし有限性の他にも、

 

希少性:お金持ちの1万円は希少性が低く当人の主観的価値は低いが、貧乏人の1万円は希少性が高く主観的価値は高い。

 

実用性:日本国の信用があり日本円は使用出来るので価値があるが、子供銀行券は使用出来ないので多くの場合無価値。

 

共感性:多くの人がお金には価値があるという共通認識がある。子供銀行券もトレードする子供同士の間で価値があるという共通認識があれば、小さな経済圏を作り出す。

 

などが関係してきて、他の要素においても高いプラス評価をつけられます。

だから価値があると言えるわけです。

 

 

時間はどうでしょうか?

有限性:勝手に減っていきます。止めようとしても止まりません。そして、いつかは自分の時間に終わりが来ます(死ぬということ)

 

希少性:「今」という時間は誰しも平等に与えられているわけですが、その「残高」がどれだけ残っているのかは誰にもわかりません。残高が見えない以上、どれだけ残っているのかわからないのだから、持っているといえるのは「今」しかないわけです。

 

実用性:使用可能かではなく、常に使用されています。生きている間、自分の意思に関わらず使用されていて、使用できない=死ぬということ。実用性はレベルマックスです。

 

共感性:殆どの人が時間に価値があることを理解しています。

 

どの項目においてもレベルマックスの評価が出来るのが「時間」の価値だと思います。

至極当たり前のことですが、改めて考えてみても時間はすごく価値があるからとっても大事ってことです。

 

 

さて、メメント・モリに話は戻ります。

メメント・モリの教訓は、

「時間は有限であるから、今を大切にして生きることを忘れるな」と解釈していますが、

「そんな誰でも知っていることわざわざ教えてくれなくてもわかるよ!」と言いたくなる気持ちが出てきそうです。

「宿題やりなさい!」「わかってるよ!」って風に。

 

しかし、この教訓が必要な理由は有限性の厄介な性質があるからです。

「有難い」について書いた時と同じで、満たされている時は有限性を忘れて、その価値を過小評価してしまいがちです。

有限性ってやつは影が薄くて、いなくなっても担任の先生ですら気付かないようなやつなのです。

ironmanyes.hateblo.jp

 

 

「幸せをお金で買う」5つの授業 - エリザベス・ダン、マイケル・ノートン

の中で、1995年に120歳で史上最高齢となったフランス人女性が、

自分の未来はとても短い、故に幸福を実感しているという話がありました。

 

これはまさに、時間(人生)の有限性を体感し、その満足感をひしひしと感じているという状況ではないかと思うわけです。

 

このことについて考えると、人が一番幸福感で満たされるのは死ぬ直前の有限性をマックスに感じられる時かもしれないと思うわけですが、それはそれで不幸なことでもあります。

なぜなら、見え方が変わる・感じ方が変わるだけで、周りにあるものは何も変わっていないからです。

それなのに、死ぬ直前にしか体感出来ないのは不幸なこととも捉えられます。

だからこそ、メメント・モリの教訓が必要です。

 

この教訓の一番大事な部分は「忘れるな」です。

 

誰だって人生が有限であることも、時間が大切なことも理解しています。

お爺さんお婆さんの方が人生楽しそうだなと思うことがあります。

中央線でハイキング装備のご老人を見て、「俺だったら山登りなんて金貰ってもやりたくねーよ」と思ったりします。

お正月に「わざわざ喉に詰まらせるリスクを冒してまで餅食ってんじゃねーよ」と思ったりもします。

 

しかし、彼らにとっては全てのことが最後の晩餐であるわけで、最後の晩餐で食べるお餅は、喉に詰まらせるリスクを冒す価値があるほど美味しく感じ得るわけです。

 

ここまでの話を読むと、

「老人だけ最後の晩餐を楽しんでてずるい!俺にも食わせろ!」

なんて思っている方もいるかもしれません。

 

最後の晩餐の席に着くことは非常に簡単です。

「いただきまーす。メメントモリー」と食べる前にいうだけです。

 

半分冗談ですが、

最後の晩餐の席に座るには「忘れるな」です。

メメント・モリの教訓を心に刻むことは有限性を実感することです。

それはつまり、いつもの味をより楽しむために重要なスパイスになるのかもしれません。

有限性がすぐに逃げ出す飼い犬ならば、メメント・モリは首輪とリードになるのかもしれません。

 

空腹は最高のスパイスなんて言いますが、

満たされていない時は何でもおいしく感じられるように、

腹が減りすぎて苦しんだ経験のある人は、そういった経験のない人よりも食事の喜びが大きいのかもしれません。

過去に病気や事故で死にかけたことのある人は、人生の味わいがより豊かに感じられるのかもしれません。

 

 

1/29,30に48時間断食チャレンジをしました。

結論:48時間ぶりに食べたグミは美味しかった。