したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

「線を引く」思考から脱するために

なるべく「線を引く」思考は辞めようと思っています。

線を引く思考の罪は重々承知していますが、これを脱するのはなかなか難しいものでもあります。

「線を引く」ことを好む人は確率信者だとも思えます。

 

線を引くとは、何かと何かを大分するという意味であり、パターン化も似たニュアンスです。

 

学歴フィルターという言葉があります。

フィルターとは濾過装置のことで、不純物を取り除く役割のものですね。

つまり、学歴の低いものは吟味に値しない人材なのでフィルターを通して取り除くという意味です。

 

差別的だ!という意見もありますが、合理的な方法だと思います。

吟味するのだってコストが掛かるのです。

ある程度対象を絞ってコストを下げるのは合理的な判断であるはずです。

 

事実として、難関大学に合格している人は名前を書けば通るような大学の学生と違って一つの高い壁を越えています。

壁を越えたことのある人間は、壁の越え方を知っています。

それは実社会においても役立つ能力なので、出来たら難関大学卒業生を採用したいと思うのは当然のことです。

 

しかしながら、難関大学卒業生でも企業サイドに言わせると役に立たない人材がいたり、逆にFラン大学卒業生でも優秀だったりと、「思惑と違った」ということが勿論あり得ます。

 

こんなデータはないと思うんですが、例えとして、

東大生が良い営業成績を上げる確率が80%

Fラン大生が良い営業成績を上げる確率40%

なんてデータがあったとしましょう。

 

東大生とFラン大生の2人が面接に来ていて、どちらか片方しか採用できないのであれば、あなたが人事担当者ならどちらを採用しますか?

 

この状況だと、学歴フィルターがないので2人とも面接に来れているわけですが、

例えこんなデータがあったとしても、私は目の前の2人を見て判断できるようになりたいと思うわけです。

 

セオリーで考えれば東大生を採用した方が良いのはわかります。

もし、どちらを採用しても3年以内に辞めてしまい、社長から「おまえは人を見る目がない!」と叱られても、

東大生なら「まさか辞めると思わなかったんですけどねー」と言って共感を得られるかもしれませんが、社長の反対・セオリーを押し切ってFラン大生を採用していたらそんな言い訳は出来ません。

しかし、採用活動は言い訳をするためにしている仕事ではないはずです。

 

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか - 山口周

の中でも著者は、セオリーを取ることは言い訳を得ることであると述べています。

 

そもそも確率で採用するなら面接なんていらないですし、採用担当者が求めているのは言い訳ではなく、優秀な人材であるはずです。

 

セオリーを取ることが悪手、というわけではなく、セオリーで考えることが悪手であると言いたいのです。

目で見て感じたことを判断材料にした結果、それがセオリーに沿っているのであれば尚良いぐらいに考えた方がいいんじゃないだろうかと思います。

 

このような場面においては、自分の直感を信じることが採用担当者には求められ、直感を信じた結果が残念なものであってもその責任を問わない姿勢が会社には求められると思います。

 

 

パターンで物事を判断するのは思考停止だと思うわけです。

先ほど、東大生は80%と書きました。それは誤った選択である可能性が20%あるのと同義であり、今目の前にいる就活生が20%にあたるのか、80%にあたるのかを見抜くのが仕事です。

 

では、

A大学の卒業生を毎年雇っているが、過去95人採用し、全員が良い成績を残している。という前提であればデータ通りの採用で良いのか?これも思考停止です。

 

過去95人中、優秀だったのが95人だからA大学は100%優秀だ!

ではなく、

過去95人は優秀だったが、今年受けに来ている5人はまだ未知数なので少なく見積もって95%だ!

だから5%の学生か、95%の学生かを見極めよう。が正しい考え方に思います。

 

 

世の中の大半のことは方程式では考えられません。

特に人間を評価する上で、方程式で評価することは本当に危険なことに思います。

 

今、目の前にある、この一回は果たしてどうなのか。

模試の合格率が99%でも、合格発表を見るまでは「落ちたらどうしよう」と感じてしまいます。

真剣に考えれば考えるほど、セオリーを疑います。

自分の感じたことと過去のパターンがぴたりと一致すると、一致しすぎることに不安を感じてしまうようなこともあるかもしれません。

 

そんな場面でも自分の直感に自信を持って判断できるようになりたいと思います。