したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

都会と田舎でなんとなく感じたこと

 

現在、東京在住なのですが、3月から妻と2人で福島に転職・引越しをする予定です。

この決断をするに至って、私がなんとなく都会で感じていたことについての話です。

 

  

田舎には何もないと言われたりしますが、都会に住んでも何もないと感じていました。

手の届く範囲にあるものは、どんなに素晴らしいものでも有難さを感じ得ないといったところでしょうか。

 

・「有難い」とデフォルト

東京タワーをわざわざ見に行こうと思わないし、都内に張り巡らされた素晴らしい交通網を利用していても何ら有難みを感じないわけです。

 

君たちはどう生きるのか の中でも語られているように、

「有難いということはそうに有ることが難しいということだ」

 

私は大学時代、寮に住んでいたことがありました。

その時の友人の話ですが、

彼は東京のとある歯医者の息子で、比較的裕福な生活から大学の寮に入ってきました。

いつも、「寮の設備がボロ過ぎてあり得ない」といった文句を垂れていました。

そんな彼は夏休みに中国へ留学に行き、夏休み明けに久々に顔を合わせると、

「部屋のドアノブが半回転で開くなんて素晴らしい!中国の留学先ではドアノブを3回転半回さないと開かなかったもんな」と今まで散々罵倒していた寮の設備について有難がるようになったわけです。

 

大した話ではないのですが、この出来事から感じた教訓は

デフォルトをどこにするかで、感じ得る幸福が変わるということでした。

 

 

・都会にいると見えないもの

地方からたまに友人や家族が遊びにきた時に東京を案内することがありますが、彼らには私に見えないものが見えているんじゃないかと思うことがあります。

私にとっては雷門も、スカイツリーも、首都高も、全て当たり前で何らつまらないものにしか見えないのです。

しかし、彼らは本当に物珍しく見物し、私が気付かないような小さな点に気付き、その面白さを味わっているのです。

その感性は、やはり有難さから来ているものでしょうし、私がその感性を持ち得ないのは東京にデフォルトを置いているからなのでしょう。

(地方にデフォルトを置くと、今度は地方の有難いものがわからなくなるかもしれませんね)

 

 

・パーソナルスペース

東京に住んでいると、パーソナルスペースの侵害にストレスを感じることが多くあります。

私は電車の通勤が大嫌いで、電車なら30分で行ける職場にわざわざ車で1時間半掛けて通うほど嫌いです。

満員電車に乗っていると、「これだけパーソナルスペースを侵害される空間に1日1時間も身を置くなんて不幸なことだなぁ」とよく思います。

電車に留まらず、何もかもが狭くて、他人が視界に入ることがとにかく多いと思うわけです。

茶店で妻と会話する時でさえ、隣の席の会話が聞こえてきて集中出来なかったり、隣の席に聞かれていると思うと話題を選ぶなど、屋外にいる時はいつも多かれ少なかれ気を遣っているわけです。

そのしんどさから少しだけ楽になれたらなぁと期待しているわけであります。

 

 

最後に、

真夜中に実家の庭に出てみると耳が痛くなるほどの静寂があり、この贅沢は何物にも代えがたいと心打たれました。