したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

こだわりはハンデ

今まで堅い雰囲気できっちりとした文章を書こうと思って書いておりましたが、

私の考えをまとめる為に書いているブログであるの為、以降は話言葉や考えたときの言葉の通りに砕けて書いていこうと思います。

 

 

自分らしさとか言っちゃってる人はうわーと思いますし、そういう人に限って負けていると思います。

勝手に選択肢を狭めて、不利な状況に身を置くのは理解できねーなって思います。

 

向き不向き、得手不得手は能力適正のことなのでいいんですが、自分らしさ・こだわりなんていうのは好みの話だと思います。

それを、勝ち負けの場面で出してくるのはナンセンスでしょう。

 

宮本武蔵五輪書の中で、こだわりを捨てることの重要性を語っています。

 

あらゆる道具の長所と短所を熟知することは良いことであるが、特定の道具を愛すべきではない。

 

ここでいう道具とは、槍や太刀や弓といった武器を指します。

弓には弓が一番活躍できる戦場があり、太刀には太刀に適した戦場があるので状況に応じて使い分けるべしということをいっています。

 

特定の道具を愛すべきではないというのは、

「太刀が一番好きだし、太刀の達人だから相手と距離は離れていても太刀で戦うぞー!」

なんて愚かなことはするなというわけです。

 

これは、こだわりを持つことの愚かさについての言葉です。

 

五輪書兵法書なのですが、兵法書ということは勝つための方法論です。

勝つことに興味がない人は、こだわりと一緒に心中すればいいんじゃないのかなと思うんですが、そんな人殆どいないと思います。

 

人間は道具ではなくその使い手です。

使い手は道具を熟知すると共に、状況に応じてどの道具を使うのか選択していかなくてはなりません。

その選択こそが戦いで勝つための重要な要素であり、選択肢を狭めるようなこだわりというのは負ける要因にしかならないというわけです。

 

 

以前、自分探しではなく自分作りが重要だ、なんて話を書きました。

 

自分の中には生まれながら素敵な自分がいて、それが未だ見つけられていない。

だから自分探しをするんだ。

なんてのは時間の無駄に思えるわけです。

そんないるかいないかわからない自分を探すほど暇なのかって。

 

好きか嫌いかは後天的なもので、日々の行動によって変化していくものです。

 

「自分らしさ」なんてものは毎日アップデートされていくので、過去の「自分らしさ」を引きずって、今の選択・判断に適用するのは、もはやハンデでしかありません。

 

そんなハンデ背負う前に、まず勝ってからやれよと言いたくなってしまいます。

弱者がハンデを背負ってもますます弱くなるだけです。

 

稀に、自分らしさやこだわりを言い訳に使いたがる人がいます。

また、それらを理由に行動しない人もいます。

それは個人の自由なので別にいいんですが、「じゃあ求めるなよ」と言いたい。