したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

ゲームの面白さが行き着くところ

今日は朝4時に起床し、予定通り美術館を回る為のルートを調べ、妻を見送り、身支度を済ませて家を出て、コンビニの喫煙所でコーヒー飲んでから電車乗るかと思って立ち寄り、そこで色んなことを考えているうちに「書き残さなきゃ」という衝動に駆られて予定全部キャンセルして帰宅しました。

妻が帰ってくるまで下書きとか色々書いておこうと予定を変更してしまいました。

 

私はテレビゲームで遊ぶのが好きですが、その面白さって何に起因するものなんだろうと改めて考え直したことを書いておこうと思います。

 

私が楽しいと感じるのは、成長の実感と読み合いを制す快感だと思います。

 

・成長の実感

有名な格闘ゲームプレイヤーの梅原大吾さんが著書の中で、

「自分の成長を感じられなくなった時に飽きがくる」と書いていたことを思い出します。

たしかに痛いほどよく分かる言葉です。実社会でも同じように感じることは多々あります。

 

成長といえば、ハックアンドスラッシュ(通称:ハクスラ)というジャンルが連想されます。

このジャンルは成長の喜び・快感にフォーカスしたジャンルです。

 

ハクスラとは、アクションRPGであるもののストーリーはあってないようなものです。

その代わり、とにかく成長スピードが速く、どこまでも強くなっていける。といったところでしょうか。

延々と同じことを繰り返しやらされるゲームのことを皮肉で「作業ゲー」なんて呼んだりしますが、ハクスラとはまさに作業ゲーです。

しかしながら、作業効率の上昇が凄まじく早い。

昨日20分掛かったことが今日は10分で終わるみたいなことが平然と起こり、作業自体に楽しさを感じられるような作りになっています。

まさに、成長を実感でき、そこに楽しみを感じられるジャンルであるわけです。

 

このように、成長の実感というのはRPGだとレベル等で明確化されますが、対戦ゲームではレベルの概念などはなく、対戦相手と平等な立場に立たされる為、成長の実感は目に見えにくく感じ辛いものです。

しかしながら、対戦ゲームも練習・研究を繰り返していくと徐々に自分の勝率が上がっていくことを実感できるようになります。

これも成長の実感ではあるのですが、ここまで到達するのはなかなか大変なので、お手軽に成長の実感を得られるハクスラのようなジャンルが生まれたわけです。

 

 

・読み合いを制す快感

私が対戦ゲームを好むのは、この快感を欲しているからだと思います。

画面の向こうに人間がいるからこそ、得ることの出来る快感です。

 

読み合いを制す快感は日常的に感じ得る場面があります。

私の場合、商談や交渉はまさに読み合いの場であり、自分の思い通りに有利に進められると「楽しいなー」と感じ、思い通りにいかないと「悔しい」と感じます。

恋愛も読み合いだと思います。好きな子とメールのやり取りをする時は、相手の考えていることを真剣に見極めようとし、思い通りにいくと報酬が手に入ります。

 

ただし、読み合いを行うにはその舞台に上がる為の資格が必要です。

 

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まさにこれです。

 

営業マンがスーツや革靴で武装し、髪を整えるのは対戦相手(社長)と同じ舞台にあがる為です。明らかに格上の相手になると、そもそも読み合いは発生せず、交渉の余地も与えられません。なので、少しでもこちらを大きく見せる為に武装するわけです。

身だしなみを整えられないと交渉の場にすら上がれないので、私は後輩に「最低月一は髪を切りなさい」と指導します。

私は3週間に一度切りますが、私の父は2週間に一度切ります。流石に2週間はやりすぎだと思いますが…。それほど舞台に上がることに必死なわけです。

 

恋愛も、明らかに魅力のバランスが偏っていると読み合いは発生しません。しかしながら魅力というのは主観である為、例外が発生し得るのが面白いところでもあります。

 

ゲームで読み合いといえば、格闘ゲームは読み勝つことが一番重要なんて言われます。

ただこれも、例に漏れず資格が必要です。

格闘ゲームにおける資格とは、コンボを覚えることや、任意のタイミングで狙った通りの技を出せる操作技術などを指します。

これらをマスターして読み合いの場に上がるには、相当な練習を必要とする為、私は「敷居が高いなー」と思って敬遠してしまいます。

 

読み合いすら発生せず、明らかな実力・性能の差によって勝負が決まることをパワープレイといいます。そこに読み合いは発生しません。

実社会の勝負においては、何よりもまず勝たなくてはいけません。ですので、徹底的にパワープレイを行える状況に持っていくことが一番正しい選択でしょう。仕事も恋愛もパワープレイができるならそれがベストです。

 

宮本武蔵ついて以前も書きましたが、彼は勝利に貪欲な合理主義者でした。

フェアプレイの愚かさを五輪書で一貫して主張しています。

相手の感情を揺さぶり、地の利を取り、弱者に情けを掛けず再起不能になるまで叩きのめす。

利用できるものは何でも利用し、強烈に勝利を欲する姿勢の重要性を説いています。

戦う前から勝ちが確定する状況をどう作るか、勝利だけを求めて戦い自体を楽しむなんて発想は一遍も持っていませんでした。

彼の生き様は実社会での戦い方を示す手本にはなるけれど、ゲームを楽しむ為の手本にはなりません。

読み合いは(宮本武蔵の大嫌いな)拮抗した戦いの中にしか発生しないからです。

 

読み合いを楽しむ・味わうには、まず拮抗した戦いをする必要があり、その為の事前努力が読み合いの場に上がる資格なのです。

 

「人間は美味しい物を美味しいと感じる為には訓練が必要」なんて話を聞いたことがあります。

たしかに、子供の頃はカニミソもウニも、お酒を飲み始めたばかり時は焼酎もビールも何が美味しいんだかさっぱりわかりませんでした。

味わうための訓練を経て、味わう楽しみを知るものです。

 

資格が必要なことは理解しているものの、ゲームにおいては事前努力はなるべく少なく、手軽に読み合い自体を楽しみたいと思ってしまいます。

手軽さでいえばボードゲームはルールが簡単で、操作技術も必要ないし、それでいて突き詰めていくと奥深いものが多いので大好きです。

つまり、モノポリー最高。