当たり前化
私の好きな話の一つです。
今まで安いコーヒーで美味しいと感じていたのに、高いコーヒーを日常的に飲むようになると今まで美味しいと感じていた安いコーヒーがまずいと感じてしまう。
つまり、生活水準アップ=幸福の図式は必ずしも成り立つわけではないという話ですね。
あなたはいくら収入を得られれば幸せになれるのでしょうか?
例えば、今が年収500万円だとして、年収1000万円くらいあれば幸せになれると考えているとしましょう。
運よく願い叶って、明日から1000万円プレイヤーになりました。
明日からの日々は今までの2倍お金使って生きていけます。
5万円のスーツを脱いで、10万円のスーツに着替えたとしましょう。
人生で初めて袖を通す10万円のスーツの着心地はさぞかし愛おしく感じるでしょう。こんな高価なスーツは今までの物より大切に着なくてはと考えるかもしません。
さて、1年後のあなたは10万円のスーツに対して同じ愛おしさを感じているでしょうか?
もし私だったら、10万円のスーツの着心地は日常となってしまい、次は20万円のスーツが欲しいなんて考えるかもしれません。
では、20万円のスーツを買うために仕事を頑張って、今度は年収2000万円になりました。
愛しの20万円のスーツも手に入れました。
さて、1年後は?
なんて考えていくと際限がありません。
この話はいくら稼いでも幸せには近づけないのだから稼ぐことは無意味だなんてことを伝えたいわけではありません。
稼ぐことは素晴らしいことだと思います。
これは消費の仕方について考える問題です。
「憧れの当たり前化」は小さな幸福を気付きにくくしてしまう。
当たり前化してしまっている小さな幸福に毎日気付いていけることが豊かさなのかなと思います。
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バリ島で気に入って購入。
毎日このメッセージを見てから一日を始めようと思ってたけど、最近あまり見てなかったなぁ。