したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

ハッピーマネー

「幸せをお金で買う」5つの授業 - エリザベス・ダン、マイケル・ノートン

 

最近読み始めた本で、まだ殆ど読み進めていないのですが、この本を手に取るにあたって思い出したこと・考えたことがあるので書いておきたいと思います。

 

 

この本の内容についてはタイトルの通りで、お金を使って幸せを買うにはどういった使い方をするのが良いのかという研究結果について書かれているものです。

 

よく収入と幸福度の比例相関関係は年収8,900万円程度が上限なんて話がされていますが、そもそも幸福度はどうやって計算しているんだろうと思い、調べてみました。

すると、あくまで一般の幸福な生活を送る為に必要な広義的インフラが充足しているかどうかという指標であるようです。

 

じゃあ幸福度とは言わないでしょ。

一般的幸福環境度とかそういう呼び方をしないと適切じゃないでしょ。

と思います。

 

そもそも美人について書いた時と同じで、幸福は主観的感情なので、数値化できるものではなく、比較できるものでもないのです。

 

それを数値化して、他者・他国と比較するなんてナンセンスだなぁと思います。

 

 

とまあこの話をしたのは、幸福とは主観的なものである為、ハッピーマネーについては人それぞれの考え方があって正解はないということを先に伝えようと思ったからです。

なので、以降の話についてはあくまで「私の」ハッピーマネーであります。

 

 

私が学生時代の話になりますが、世の中の音楽媒体がCDでなくなるというムーブメントの始まりの時代でした。

これは音楽のデジタル配信が始まったものの、CDと値段は変わらないのでデジタル配信で購入する人がとても少なかった時代でした。

 

そして、インターネットは光回線がある程度普及していたことと、インターネット上における倫理教育が今ほど普及していない時代だった為にファイル共有ソフトを多くの人が著作権なんてものをあまり気にせず利用していたのではないかと思います。

 

私もその一人であり、自分の無知で音楽の著作権を侵害していたのです。

クラスの多くの人がそういったことを罪の意識なく行っていたように思います。

 

そんな時代でデジタル配信の音楽を買う友人がいました。

その行動が当時の私には理解できず、

「CDなら手元に残るからまだしも、なんでデジタル配信なんて買うの?ダウンロードすれば無料じゃないか」と訊きました。

「アーティストにお金が行ってほしいと思っているから」

と彼は言いました。

 

そんな考え全く思いつかなかったと私は驚きました。

 

私は単に音楽を入手する手段として、お金を払う行為を見ていたわけですが、

彼は音楽を入手する+好きなアーティストに今後も素敵な音楽を生産してもらうことまで考えてお金を払う行為を考えていたのでした。

 

優れた考えだと思って、今では私の思想の大切な一部となっています。

 

 

彼の言葉は、支払いに使用し手元から離れたお金の行く末を考えるということを教えてくれました。

 

好きな食べ物を買うことは、

生産してくれた方・販売してくれた小売業者・運搬してくれた物流業者

を応援することになりますし、

素敵な映画にお金を払って鑑賞することは、

監督さん・俳優さん・その映画の次回作を支援することに、

また上映してくれた劇場が今後も営業を続けてくれることに貢献しているわけです。

今考えてみるとすごく当たり前のこととも思えます。

 

こういったことを考えながら支払うお金と、入手するためだけに支払うお金は代金を受け取る側からしてみれば同じかもしれません。

しかし、支払い手側で考えると前者の方が目当ての物を入手できて、さらに好きなものを応援していると感じられる。

ダブルで得るものがあるわけですから、今までと同じ消費でよりハッピーを感じられるマネーの使い方と言えるのではないでしょうか。

 

お小遣いの範囲だけど欲しいものがあって買うべきか?買わないべきか?

もしあなたが好きなモノならお金を払ってコンテンツの発展に貢献すればいいんじゃないですか?

 

飛躍的かもしれませんが、いたずらな貯金・節約・節制信仰は少し利己的な思想だなと感じてしまうこともあったりします。

 

 

脱線:友人がCDではなくデジタル配信を選択していたことについて

 

何故、デジタル配信を選択する人が少ない当時、彼はデジタル配信を選んだのか。

音楽という商品の本質をきちんと理解していた少数派の消費者だったんだなぁと思います。

 

当時の私は、CDのあの光る円盤に1000円の価値があると考えていたのです。今考えると馬鹿だなぁと思いますが、当時は同じように考える人が多くいたのではないでしょうか。

友人は、音楽とは物質的なものではなく、「聴ける」ことが価値であるときちんと理解していたんだと思います。

 

同じ商品でも小型化・省スペース化するだけでまた売れたりするなんて随分以前から言われていますが、CD→デジタル配信は最強の小型化…無型化だったのかもしれませんね。