金は心か?
「人の為に尽くせばお金は勝手に集まってくる」と幼い頃からよく祖父に言われておりました。
私の祖父はしがない中小企業の経営者でしたが、高額納税者になっていた時代もあったりしたのでそれなりの商才はあったのでしょう。
ただ、私にはこの教えが中学生になっても高校生になってもイマイチ理解出来なかったのです。
たしかに、人の為になる仕事をしてお金を集めるということは素晴らしい。理想的。とは思いました。
しかし、世の中のお金持ちを見てみるとそんな人ばかりではありません。
むしろ、他者を犠牲にしてお金持ちになる人の方が多いと感じてしまうほどです。
かつての私は、
「金と心に相関関係はないんだから、祖父の言っていることが理解できない!」
と思っていたわけです。
この教えについて、未だ真意は理解しきれていません。
なので、スマートに説明することもできません。
ただ、ここ最近漠然とイメージが掴めてきているような気がするので、そのことについて書きます。
金とは絶対的で論理的であるというイメージが私にはありました。
個人が体感する経済圏というのは確かに絶対的で論理的です。
100円の商品を買う、自分の財布から100円が消えるというのは絶対的な現象です。
しかし、大きなスケールで見てみると、金は相対的で感情的なものであるようにも見えてきます。
・相場
まず相場という言葉が絶対的とは真逆ですね。
株式相場について考えてみると、株価を変動しうる大きな要因は個々のバイヤーの気持ちです。
取引するのは人間同士であるということです。
ここには人の心があります。
・デフレ
デフレ状態になる要因・きっかけというのは様々ですが、気持ちという要素は大きく絡んできます。
あるきっかけが原因でデフレ状態になったとしても、国民が「すぐに回復するだろう」と楽観的な気持ちを持って今までと同じ消費活動を続けられればデフレはすぐに脱却できるはずです。
逆に、「まずい、少しでも支出を削らなきゃ」と考え始めると、消費が減り、さらに所得が減ってデフレは悪化していきます。
消費を行うのも人間だからです。
ここにも人の心が絡んでいます。
・経済
経済という言葉は経世済民が語源とされています。
経世済民とは「世を治め、民を救う」という思想です。
中国古典の言葉のようですが、王が民を想う気持ちが表れています。
これもまた人の心です。
こういったことを考えてみると、祖父が伝えたかったことがなんとなく理解できるような気がします。
きちんと理解できるよう、もう少し頑張って勉強を続けます。
最後に、二宮尊徳さんの言葉で好きな言葉だけ載せておきます。
道徳を忘れた経済は、
罪悪である。
経済を忘れた道徳は、
寝言である。
小学校よりも社長室にこそ二宮金治郎像は必要なのかもなぁ。