宗教とは何か
私がこの1年、自分なりに研究して考えて出した、一個人の意見です。
自分の信じる宗教を持つ人にとってはあまり面白くない意見にもなり得るので、拙い一個人の勝手な考えと受け止めていただければと思います。
Q.宗教とは何か?
A.(残酷な)現実世界を受け入れる為の説明原理である
一言で表すと難しい表現になってしまうので、噛み砕いて説明していきます。
宗教というのは、世の中にたくさんあるわけです。
大きな組織だと、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教、そしてそこから宗派が別れたり、新興宗教が登場したり、とにかく無数にあるわけです。
それこそ、宗教という概念がなかった時代からキリスト教他の歴史的な宗教は存在していました。
土着の信仰や建国神話もそれぞれありました。
誰かが、宗教を作ってくれと頼んだわけでもないのに発生したわけです。
また、今みたいに世界中が繋がっていない時代、既に神は世界中に存在していたわけです。
隣の国の神話を聞いて、「じゃあうちの国にも神話を作るか」という発端ではなく、各地で神話は生まれました。
示し合わせたわけではないのに、世界中の人々が神を求めて神話を作り始めたわけです(作るという表現は適切ではないかもしれませんが)
これは何を意味しているのか?
私の結論は、人間が神を求めたから。それも、本能的なレベルの欲求として。
では、神を求める人間の欲求とは何か?
それが説明原理だと思うのです。
私たちは、プラスの事象とマイナスの事象、良いことと悪いことが並べられると悪いことの方にフォーカスしてしまう性質を持っています。
良い話と悪い話があるけどどっちから聞きたい?と訊かれると、悪い話からお願いしますというのが人間の心理ではないでしょうか?
良い話から先に聞くと、後から来る悪い話を聞いてからじゃないと素直に喜べない。
それなら、先に悪い話を聞いてしまった方が良い話を楽しめるんじゃないかと誰しも考えるはずです。
さて、気を抜くとネガティブになってしまうのが人間という生き物なわけですが、先に申し上げた悪い話は何を指した言葉だったのか
それは、理由なき残酷な現象であると思うのです。
この辺りの説明が難しいのですが、
人間にとって恐ろしいこととは、因果関係の見えない現象です。
例えば、幽霊が恐ろしいのは発生のメカニズムが分からない・目的がわからないからですし、初対面の人が苦手なのは相手に対する情報が不足しているからです。
私たちは知らないものに恐怖を覚えるようで、知らない・理解できないものに囲まれると大きなストレスを抱えます。
今でこそ、雷や火山の噴火は科学的に発生のメカニズムが解明されつつありますが、大昔の人々にはとても行き着くことのできない、不思議な現象だったことでしょう。
そういった、よくわからない恐ろしい現象を、よくわからないまま受け止められるほど私たちの心は強くないのです。
よくわからないまま抱え続けられるほど、私たちの心はストレスに強くないと言い換えると分かりやすくなるでしょうか?
つまり、よくわからない現象を受け止める為に、それらの現象を説明する為に生み出された説明原理が宗教であると思うのです。
では、視点を変えて、現代において宗教は必要か?
科学の発展した現代では、大昔に神の仕業とされていた火山の噴火や地震のメカニズムが解明されてきました。それは宗教に頼らなくても説明が可能になってきたということでもあります。
そうなってくると、科学力の高い現代では宗教は不要では?という仮説にたどり着くわけですが、果たしてそうでしょうか?
たしかに、科学を以って証明できることは増えましたが、依然説明出来ないことも沢山あります。
例えば、科学の力を用いても神の存在or存在しないことを証明することは出来ません。
これだけ科学の発展した現代においても、やはり説明原理としての宗教は必要なのだと思います。
仏教は宗教ですが、儒教は宗教ではありません。
日本人の道徳観は儒教がベースとなっていますが、儒教の教えには死生観がありませんので宗教ではないのです。
先程の科学で証明出来ないことに、死についても加えましょう。
死とは何か、それも未だわかっていません。
死後の世界があるのか、地獄や天国があるのか、輪廻転生するのか、最後の審判は訪れるのか。
死とは何かわからない、だから怖い。
でもみんないずれ死ぬから、逃れることはできない。
説明不可能で正体はわからないが、必ず自分に降りかかる。これほど恐ろしいことがあるでしょうか?
それらを説明し、理由やメカニズムを説いてくれるのが現代における宗教の最大の意義です。
その理屈の正確性は証明できないですが、何かしらの理屈がないことには恐怖で夜も眠れません。
311で津波にのまれて亡くなられた方は何か悪い行いをしたから天罰が下ったんでしょうか?
交通事故で亡くなられた人たちはどういう理屈で死ななくてはいけなかったのでしょうか?
現実は、ただその時その場に居合わせたからに過ぎないという大変残酷なものです。
その事実をダイレクトに受け止めるのはあまりにも辛い。それが自分の大切な人であれば尚更。心が壊れてしまうほどに。
現実は残酷で救いのないものですが、それらに理屈をつけて、前を向いて生きていけるようにしてくれるのが宗教という人類の作り出したシステムだと私は思います。
きっとあの世で元気にやってるとか、生まれ変わったとか、そういう風に思えた方が、残酷な現実を受け止められるはずです。
そういった精神の救済システムなんだと私は結論付けます。