inconvenience欲求 その1 専門店と機能美
以前より感じていたことなのですが、不便さという贅沢を現代の日本人は求めているように感じます。
ラベイユという蜂蜜専門店が自宅の近くにあります。
「蜂蜜なんかそんなに食べないのによく流行ってるなー」
なんて思っていましたが、考えてみたら専門店ブームって風潮かと。
昨年は色んな専門店が都内に多数オープンしましたよね。
しかしなぜ、このような時代逆行的な風潮が起こっているのでしょうか?
スーパーマーケットが台頭する以前は、買い物といえば専門店が当たり前でした。
商店街に魚屋・八百屋・肉屋と専門店があり、そこで買い物をする時代でした。
カレーライスを作る為には、八百屋に行って、米屋に行って、肉屋に行って…と複数店舗を訪れなければいけなかったわけです。
そしてスーパーマーケットの登場でカレーの材料を買う為に訪れる店舗が一つで済むようになりました。
そしてそして規模を小さくし、より近くにというコンセプトで「まいばすけっと」のような店舗も登場しました。
これによりカレーの材料の買い物へ行くための移動距離も少なく済むようになりました。
さらにはネットスーパーなるものも登場し、とうとう買い物に行かなくてもカレーを作ることができるようになりました。
これまでは、不便→便利という流れだったに関わらず、
専門店というのは便利→不便という時代逆行的な流れに思えます。
ここで一つ考えておきたいのが、便利=良いことなのか?
便利という言葉を聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
私ですと、スマートフォンが真っ先に連想されます。
電話と名乗っている癖に、電話機能より遥かに他の機能を使う頻度の方が高い利用者。
カメラ性能など電話以外の機能を必死に拡充するメーカー。
果たしてこれは電話なのか?と思うわけです。
スマートフォン一つあれば、
写真が撮れて、お店の予約が出来て、スケジュール管理が出来て、映画が見れて、読書が出来て…
多くの欲望を満たせる機械がポケットに入るんだから便利の極みって感じです。
近代の風潮は、便利こそ正義という便利主義だったんじゃないかなぁとも思います。
しかし、その一方で便利の極みに近づいた現代においては、不便さを求める風潮が表れてきました。
必ずしも何でも便利・効率的になることに疑問を感じ始めている流れだと思っています。
本来人間は無駄が大好きな生き物だと思うわけです。
私事ですが、kindle paperwhiteを購入しました。
今まで電子書籍はスマートフォンのkindleアプリで読んでいましたが、電子ペーパーに興味があったので友人の持っている端末を見せてもらいました。
E-inkで目に優しいとか、バッテリー持ちが良いとか色んなセールスポイントはあるのですが、やはりスマートフォンで全て事足りるじゃないかなんて思っていました。
しかし、「kindle端末は読書しか出来ないから通知が来なくて集中できる」と友人に言われたことが刺さって購入に踏み切ったわけです。
私にとっては、不便さが最大のセールスポイントとなったわけで、この場面においては不便さが便利さに勝利したのです。
私はこの不便さに機能美を感じたわけです。
機能美とは、機能性を追求することで美しさが生じるという言葉ですが、
正しくは「単機能美」と呼ぶべきじゃないかと思います。
ただまあ美しさを感じるかは人それぞれなので、何とも難しいんですが、
私は「多機能美」は感じないけれど、「単機能美」は感じるという風です。
十徳ナイフをどう思うかって話かもしれません。
私は十徳ナイフより、刃と柄しかないシンプルなナイフの方がかっこいいと感じるので、単機能美と呼びたいってわけです。
(十徳ナイフも生き残る・サバイバルという単機能かもしれない?とか思ったけど、ドライバーも爪やすりも生きていく為にそこまで必要ではないか…)
単機能という不便さに美しさを感じるというのが、専門店風潮と関係があるように感じています。
このテーマはひたすら長くなりそうなので、また次回継続で。