したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

理想子供

 
学校のテストでスマートフォンを持ち込めないのは少しおかしいと考えることがあります。
 
オフライン環境での能力を鍛えたところで、実社会では常時オンライン。
インターネットが使えない環境だと私は優秀です。
こういう人よりインターネットが繋がる環境なら私は優秀ですっていう人材の方が実社会にとって価値があるのではないかと。
 
 
ただこれは、学校=小児職業訓練施設として見たらの話なので、見方を変えるとおかしくないことなのかもしれません。
 

 

 
 
私は正解が一つである問、画一的なパッケージ化された教育よりも、
正解のない問、各個人に素養・興味に合った教育を重点とするべきではないかなと。
皆と一緒に右に倣えをする兵隊を作る教育から卒業するべきでは?均一の品質の「大人」はこれから必要?
 
私たち以下の世代に今後必要な能力はグーグルに訊いても教えてもらえない問と戦う為の能力。
スーパー賢いAIでも持ち得ないであろう感性。だと思います。
言葉にならない、言葉にできない、表現できない、エモい、幽玄、そういう感性を身に付けてこそ、人間じゃないかと思うわけです。
 
兵隊教育の究極はバトルドロイドだと思ってしまうのでした。
僕に子供が生まれたら、バトルドロイドではなく戦闘力が低くくても世界で一人しかいない個人になって欲しいと思うわけです。
〜くんも持ってるから僕も欲しい。
うちはうち、よそはよそ。
他人は他人、あなたはあなた。です。
 
僕の求める理想子供は、良い意味ワガママ、やりたいことがたくさんある、人と違うことを恐れないという像です。僕自身もこうなりたいと思っています。
兵隊教育を受けた世代から見ると、もしかしたら、「社会に合わないやつだなぁ」なんて思われるかもしれませんが、尖った個人になってくれたらいいなと願います。
(兵隊教育なんて不快な印象を受けられるかもしれない表現をしていますが、前時代に即した教育であったと思っています)
 
だって兵隊教育を受けても均一な人間なんて生まれなかったし、「普通の人」というのは世界中探してもどこにもいないわけです。
人間的標準を体現する、グリニッジ天文台的な人間なんてどこにもいません。
 
人間の個性は決して押さえつけられるものじゃないと思うわけです。
マシーンに憧れてマシーン人間を作る教育を施されてきた人たちも、誰一人としてマシーン人間にはなれなかったわけですから。
 
尖った個人は組織のメリットで補ってあげればいいんじゃないのかなって。