感性と退屈と記憶
世の中はAIに対する期待で溢れ、一方で技術的失業への不安を抱いている人たちもいる。
そんな情勢の中で、人間とAIの違いって何だろうと改めて考える方も多くいらっしゃると思います。
攻殻機動隊が大好きだった僕は中学生の時にもよくこのテーマについて考えたりしたものです。
攻殻機動隊の中では、ゴースト(つまり魂)の有無であることが定義されていました。
確かにその通りだと思います。
今このテーマについて僕が考えた時の答えは感性の有無だと思っています。
感性というセンサーは機械に搭載することが未だ叶っておらず、電子感性の開発=人間の脳構造を100%解析することに等しいことだと思っています。
つまり、しばらくの間はそんなこと出来ないだろうという僕の打算。
そもそも感性ってなんだ。
ぐぐったら、印章を受け入れる能力。
Wikipediaには、美や善などを評価判断する印象を知覚する能力。
書いていることは理解できるけど、なんかはっきりしない。
おそらく明確な定義は存在していないものと思います。
そもそも感性なんて明確なものではないはずです。人によって違うのだから。
僕は、自分の感情が動くことを認識できる能力だと考えています。
それは、好き・嫌いのような明確なものもあれば、なんだかよくわからないけど気になるとか、最近話題のエモい(僕の中でエモいは数学のxのような感情の箱というイメージ)と形は様々。
様々な対象物に対して何かしらの感情が湧くことを認識する能力。
感性が豊な人は多くの物事に興味を持てる人。と思っています。
そして、「感情が動く」というキーワードにフォーカスすると、ふと僕の頭の中で別のキーワードと紐付きます。
それは、退屈・記憶。
・退屈
退屈とは、苦痛。
退屈の発生原因は、興味が持てないこと・感情が動かないこと。
つまり、感性の貧しい人は感性の豊かな人と同じ状況にあっても苦痛(退屈)を感じやすいのではないかという結論に至ります。
・記憶
人間の脳は短期記憶という仮置き場を経て、長期記憶に入るようなのですが、
短期記憶に入ったもの全てが長期記憶になるわけではないようです。
短期記憶→長期記憶へ転送される基準は、好き・嫌い・衝撃等の要素が対象の記憶にあるかどうかです。
感性が豊かな人は様々な物事に興味を持ちます。
例えば、友人の自宅に訪問した際、部屋に案内される途中の廊下でふと窓の外を見ると庭に松の木が生えています。
これに対して、
「松の木が庭に良い雰囲気作り出していて美しいな」と思うかもしれません。
あるいは、「松の木って葉がトゲトゲしていて何か好きになれないな」と思うのかもしれません。
どのように思ったとしても、
事実「庭に松の木があった」+感情「僕はこれが好きor嫌い」というセットであればこれは長期記憶に残るものです。
まず、思うことがなければ記憶されません。
思うこととは興味を持つということです。
別の話で、僕の新入社員時代の話ですが、OJTで先輩社員に同行してもらい、自分がターゲティングしたお客様先を訪問していました。
同行してもらった先輩は大ベテランのおじさんです。
同行訪問の一週間後、同行していただいた日のお客様のことを先輩に話したりしてもイマイチ覚えていない様子でした。
名前だけでは伝わらず、お客様の特徴やどの駅の近くだったか、道中どういう話をして向かったかという話をすると、「ああ、あのお客さんね」と思い出した様子。
私にとっては強烈に記憶に残っているのに、なぜ先輩社員は思い出すのに苦労したのでしょうか?
それは、
私:自分の仕事だから興味がある+初めてのことで些細なことでも衝撃的
先輩:自分の仕事じゃないからあまり興味がない+もう十年以上営業をしているので些細なことは気にならない
という差があったからだと気付きました。
やはりここにも、思うことで記憶に残るという法則が表れているように見えてきます。
察しの良い方は僕の考えていることがお分かりかと思いますが、
感性が豊か
↓
感情が動きやすい
↓
日常生活で多くの対象に思うことがある
↓
記憶されやすい
↓
同じインプット量でも長期記憶の量が感性の貧しい人と差が出る
という結論に至りました。
ということで、感性が大事だなと思った話でした。