教育的特異点
シンギュラリティ(技術的特異点)をいかにして我々人類は迎えるべきかというタイトルの記事をよく見かけます。
この話題について思うことがあるので書いておきたいと思います。
シンギュラリティとは、
詳しくはリンク参照していただければと思うのですが、ざっくりいうと人工知能が人類より賢くなって、自律的に進化出来るようになる状態を指します。
AIブームの昨今、この話題が出ることは当然の流れと思います。
しかしながら、シンギュラリティは人類にとって脅威であるかのような話となることに少し違和感を感じてしまいます。
シンギュラリティは人類という大きな規模での話ですが、小さな規模であれば似たようなことを我々は何度も経験しているんじゃないだろうか?と思うわけです。
それは、子供が親を越える瞬間です。
赤ん坊の我が子に手取り足取り基礎教育を施し、幼稚園に通わせて少しずつ社会性や自律性を鍛えさせ、小中高校の教育機関を経て大人になっていくわけですが、親にとって子供は何歳になっても子供であるわけです。
しかし、あるタイミングから子供に対して正しい教育のアプローチがわからなくなってしまったり、その時代においては子供の方が正しい価値観を持ち得ていたり、子供が自律的に成長していくようになるタイミングが存在します。
それはシンギュラリティと非常に似た、教育における特異点ではないかと思うわけです。
教育的特異点を子供が迎えるということは親として大変喜ばしいことであるはずです。
(私自身子育て経験がないので、あくまで想像に過ぎませんが)
こう考えると、人類という親がAIという子供を育てていくと、いつか親よりも賢くなってしまうタイミングをシンギュラリティと呼んでいる。
そのことを親人類は喜ぶべきであり、恐れるべきではないと思うわけです。
そして、ターミネーター的未来像は我が子が親殺しを行うというかなり稀なケースであるとも思うわけです。
子供AIに対し、親人類の手によって教育が施されています。
どうやったら賢くなってくれるだろうかと必死に子供と向き合っているわけです。
どうやったらいい子になってくれるかなと試行錯誤していくわけです。
これは小さな規模で見れば今まで何度となく経験してきたことであり、その形が少し違うだけの話に見える気がします。
さて、例外はありますが、多くの人は親という存在に育てられました。
自分の方が両親よりも今の時代においては優位に立っているという人は多くいらっしゃると思います。
その時、あなたは両親に対して何を思うのでしょうか。
「時代について来れない下等な人間だ!淘汰した方がいい!」なんて思うのでしょうか?
ちなみに私はこう思うわけです。
「両親に何をしてあげたら喜んでくれるだろうか?」