したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

歳を取る

私たちの社会システムは基本的に年功序列がベースとなっています。それは儒教の教えによる文化的な背景や、みな均一に歳を取るという公平(?)性、年齢という明確な基準がある為に上下の判断が容易など様々な要素があって浸透したものだと思います。

 

しかしながら、私の姿勢としては、年長者は経験の量からして敬うべき存在と認識しているものの、自分が年長者の立場である場合は決してあぐらをかいてはならないと危機感を持つべきだと思っているのです。

 

年齢・時間は平等に流れておりますので、同級生はいつまでも同級生のままなわけですが、

同窓会なんかをするとそれぞれ社会的地位が違っていたり、結婚していたり、子供がいたり、あるいは亡くなっていたりと人生のステージは全く平等に進んでくれないというのは、残酷ながら事実であるわけです。

 

歳を取るということは、一般的な解釈をすれば時間の経過を刻むということです。時間さえ経過すれば、ただ生きてさえいれば勝手に年長者になっていくのです。

しかし、私にとって歳を取るということは、年長者として相応しい人間性を積み重ねていくことだと思っております。それは時間に等倍で比例するわけではなく、人によって倍速で進んだり、他の人の半分の速度で進んだり、場合によっては後ろに進むなんてこともあるものだと思うのです。

 

繰り返しになりますが、私にとっての「歳」というものは、時間の経過によって自動的に与えられものではないと思うわけです。

なるべく早く歳を取ることがより良い視点を自分に備えさせる手段だと信じているわけです。

 

だってそうでしょう?

おじいさんになってから「身体がもっと元気なら〜したかった」と思うより、

内面を先におじいさんにしてしまえば、

身体が元気なまま、おじいさんになれるのです。

そしたら、「身体はまだ元気だから〜するか」と実行できるわけです。

その方が幸せだと思いませんか?

 

そんな自分焦らせる幸福論に突き動かされて、日々生きているわけです。

今年は、転職してコミットメントの高い職業になり、はじめての子供も生まれて、住む場所も変わり、人間関係も大きく変わり、去年から大きく変化のあった一年でした。

多少は歳を取れたのかなと思います。