したためノート

自分の考えをまとめる為、思った時に思ったことをしたためています

復讐が好きだ

 

批判を恐れずにいうと、私は復讐が好きなんだと思います。

 

上の動画でグレースが女に復讐するとこなんて、罪のない子供を殺しているにも関わらず、爽快なものだなと感じてしまうわけです。

 

日本は先進国では珍しく死刑制度のある国です。

死刑制度は復讐のための制度だと思っています。

(死刑賛成反対論を展開する気はありませんが、私の家族が殺されたらその犯人が死刑ではぬるいと思ってしまいます)

 

中世は仇討ち制度もあったくらいで、日本は復讐に対して寛容な国だと思います。

 

 

 

忠臣蔵のような古くから大衆を楽しませてきた娯楽作品も、復讐をテーマとした物語です。

 

テレビではムカつくやつを懲らしめた話の再現ドラマが視聴率を取り、半沢直樹は社会現象になるほどヒットしたドラマでした。

 

YouTubeでは浮気した配偶者にどうやって復讐をしたのかLINEのやり取りで見せるような動画が再生数を取ります。

 

Twitterも140字の中で完結に語られる、悪者に復讐する話がリツイートを稼ぐのです。

 

世の中の人もきっと私と同じように復讐が好きなのでしょう。

 

 

「罪を憎んで人を憎まず」

素晴らしい考え方です。

人間社会が進歩してきたのはこの考えのおかげでもあるわけです。

この哀れな罪人が過ちを犯すに至らしめた、不完全な社会システムを憎もう。

この罪人が強盗を犯したのはきっと飢えに苦しんだからで、この貧しい世を憎んで豊かな世の中にしようと。

そうして、社会システムは少しずつ進化してきました。

 

「罪を憎んで人を憎まず」とは本当に素晴らしい考え方です。

日常の些細なムカつきくらいなら、この考えで吸収できるものが殆どです。

無礼な若者がやってきても、「礼儀を知らずに育ってきたことは哀れなことだ」と思えば心の平穏を保てます。

 

しかしいざ自分の家族が殺されるような、強烈な怒りに晒される場面でも同じように受け止められるのでしょうか。

私はその時、寛容である自信がありません。

とはいえ、自らの手で相手へ復讐することも望まないのだと思います。

私の代理でヒットマンが惨たらしい罰を相手に与えてくれたらなぁと望むのでしょう。

 

 

私は復讐が好きです。

ただ、自分を復讐の鬼に変えるような不幸な出来事には遭遇したくありませんし、

自分の手を汚して復讐を果たすこともしたくありません。

復讐が何も生まないことも重々承知しておりますし、

「罪を憎んで人を憎まず」の精神の大切さも理解しています。

 

私が好きなのは、「娯楽としての復讐」です。

私以外の誰かが不幸な目にあって、復讐を果たす痛快なお話を求めているだけなのでしょう。

こういう趣向の人、多いのかもしれません。